2007年を待ちながら?
村上龍が発行するメールマガジンJMMをまとめて読んでたら、村上龍が玄田有史・曲沼美恵の二人に彼らの共著『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬社)についてインタビューしているものがあった。ニート(NEET=Not in Education, Employment, or Training)とはイギリスで作られた言葉であり、就職も就学もしていない状態にある若者のことだ。社会的引きこもりともフリーターとも異なる。JMMはつまらない記事が多く読まないことが多いのだが、これは珍しく面白く、ニートについてはぜひこの著作を読んでみようと思わせるだけの内容であった。
だが、ここでは玄田の次の言葉をメモ。
ひきこもりの問題でエッセイを書いてくれといわれたとき、僕は2007年までは寝てていいと書きました。その頃には社会の仕組みがかなり変わるから、それまではウォーミングアップのつもりでいい、と。これには多少の根拠もあって、2007年には働く人が減り始めるし、団塊の世代のなかには引退する人も出てくる。消費税も上がるでしょうし、年金の夫婦分割も始まるし、郵政民営化もスタートする。社会のルールが変わらざるを得ないし、若い人たちにも同じ口調、論調では言えなくなる。実際先をみた会社では、若い人や女性を念頭に新しい働き方を求めて試行錯誤をすでに始めています。
この発言の善意は認めつつも、2007年における好転の確証もないままに、「2007年までは寝てていい」と言うことについては、引っ掛かりを覚えてしまうことは事実だ。確かに社会が"大人たち"にとっても不安定性や流動性が増大していけば、何らかの変化はあるだろう。2007年になれば、ニートにとって具体的にどのように"よりマシな状況"になるのだろうか。そして、それは2007年までの3年間を寝つづけることの機会損失を補って余りあるのだろうか。だが残念ながら、「寝ている人」にとって、いきなりハッピーな世の中が現れるなどということはありえないのだ。
2007年まで待たずにすむのなら、その方がいい。これについては、玄田自身も賛成するに決まっている。この短いインタビューを読んだだけでも、短期的な解決が困難なことは伝わってくる。ならば、長期戦(企業戦略的には3年間は長期ではなく中期だが)を前提に取り組んでいくほうが有意義なのかもしれない。そもそもニートの全容についてはまだまだ掴めてさえいないのだ。
ところで、2007年を皮切りに社会が大きく変化していくのだとしたら、それに対して備えておくべきなのはニートだけではないはずだ。一番の問題は、僕らの社会そのものが中長期的ビジョンを欠落させた短視眼的社会以外の何ものでもないことなのだから。だが、おそらく2007年に向けてきっちりと備えるのは、目ざとい「ヘタレ中流*1」(稲葉振一郎)ぐらいしかいないのではないだろうか。やれやれ…。