『情況』2004年3月別冊 特集反派兵

なんかホントに久しぶりに左翼雑誌なんぞを読んだ(笑)。あいも変わらずの文意不明な主張もたくさんあったが、なかにはおもしろい指摘も。そのうちのひとつが酒井隆史矢部史郎の対談「最悪は、最高だ」のなかで酒井が述べていた日本の「ペラさ」について。
彼が言っているのはこういうことだ。例えば、前回の衆院選のときに、自民党への唯一の対抗勢力なんだから、「いつまでもぐだぐだ批判せずに、民主党に入れろ」的な雰囲気が一部から出ていたが(こういう雰囲気は確かにあったと思う)、そういう「割り切り」による「よりマシ主義」でやってきた90年代は結局何もいい結果を生まなかったはずだ。そもそも職場状況としても、「割り切れ、割り切れ」という抑圧が日々コマンドされているので、そりゃあ人間がペラくなるだろう、と。事実、「割り切れなさ」そのものを対象とするような大学の文学部もいまや風前の灯…。
確かにこの指摘は一理あると思う。毎日、マーケティング活動なんぞを営んでいると強くそう思う。例えば、マーケティングにおいて最も重要なポイントはターゲットや市場の徹底的な絞込みだ。欲を出してこの絞込みを甘くしてしまえば、必ずとは言わないが、まずうまくいかない。しかし、絞り込めば絞り込むほど、矛盾に満ちた現実の人間は見えなくなってしまう。実際、自分もよくやるけど、消費者(という言葉も見ようによっては嫌らしい言葉だけど、何となくチャーミングな言葉だと思わない?)を何パターンかに分類してみせるのなんて、かなりペラい人間把握ではある。
気をつけないと、ペラい人間理解しかできなくなるので、これは常に自戒していないとね。(実際、会社にペラい連中は多い、気がする:笑)