RADIOHEAD来日公演

時間が空いてくると、だんだん書くのが面倒くさくなった(笑)。既にいろいろしゃべり倒した嫌いもあるので、同じことを書くのも芸がないしなぁ…。まぁ、そうは言っても、とりあえずいくつかのことを個人的な備忘録を兼ねてメモ。

率直に言って、今回の来日と昨年のサマソニを比較するならば、昨年のサマソニの方が確かに強烈な印象ではあった。とは言え、その点を強調して今回の来日を卑しめるつもりはなく、今回も大阪初日を除けばどれも非常にすばらしいライブであり、感動的だ。

例えば、KID A。昨年のサマソニの最大の収穫はライブ版KID Aを初めて聴けたことだったが、今回もKID Aはすばらしかった。特に大阪二日目のKID Aにおけるトム・ヨークの熱唱は昨年に劣らず忘れがたい。この曲は「おそらくもはやどこかで生まれているはずの"世界最初のクローン人間"」のモノローグなのだが、アルバムでは篭ったようなエフェクトを掛けることによって、"人間離れした別の生き物"的なニュアンスを強調していたため、音楽的な実験性のみが強調されている印象が強かった。だが、ライブではトムが生で歌うために、クローン人間と人間との断絶よりも連続性こそが強調されることになる。クローン人間も人間である、あるいは人間とはクローン人間にほかならない。両者の垣根がなくなり見分けがつかなくなる。そして、クローン人間は子供たちに呼びかけ、街の外へ、家の外へと誘い出す。"Come on kids..."

今回のツアーはアルバム"HAIL TO THE THIEF"のツアーであるため、必然的にこのアルバムからのナンバーが多い。そのなかでも圧巻だったのは2+2=5とMyxomatosisであるというのは異論がないところだと思うが、これらを除いて生で聴いて感動的なのは例えばA Wolf at the Doorだ。RADIOHEADの曲には、資本主義のなかで翻弄され、汚辱にまみれた生を生きている現代人をテーマにしたものがいくつかあるが、この曲もその系譜に属する。金融資本を描いているという意味では、Optimisticに近いが、それよりも感傷的な曲ではある。ライブでトムは音程を外しながら、ひたすらがなりたてて歌う。歌の上手い下手がどうでもよくなるというのは非常にロック的な瞬間だと思うが、その一瞬において、PILのジョン・ライドンとダブって見えた。(追記:ジョン・ライドンとダブったからすばらしいというのではなく、トム・ヨークらしさという個別性が消えるほどの一瞬の強度があったことがすばらしいということ。念のため)

長くなってきたので、あとは3曲だけ。

今回のFake Plastic Treesの演奏は、近年のアレンジのなかでは最もオーソドックスだと思うが、非常に効果を上げていて本当に泣けた。特に東京初日の演奏がすばらしい。この曲は1番で偽物に満ちた世の中について、2番で偽物の身体について、3番で偽物の心について語られ、最後の最後で「君の望むような男であれたらいいのに」という呟きで締めくくられる。ウダウダの感情ではある。この恋愛感情がまがい物だってことは分かっている。だが、まがい物だと分かっていても、それにもかかわらず求めずにはいられないという倒錯。倒錯的でしかありえない現代の恋愛。1番、2番と少しずつ音量が上がっていき、3番でギターが爆発する。そして、また静寂が訪れ、静かに呟かれる絶望的な望み。あまりにも切なく響く。

Fake Plastic Treesの歌詞については、中野真紀子さんの下記サイトも参照。この曲のポイントが簡潔に指摘されている。
http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/Lyrics/frameradiohead1.htm

Street Spiritについて。この曲は以前のライブより少し速めに演奏されていたため、好印象。ただし、もっとテンポを速めたほうがいいと思う。僕はこの曲をライブでゆっくり演奏されることが苦手で、ゆっくりとしたテンポによって下手に抒情感を高めようとすることは、緊張感あるこの曲のポテンシャルを殺いでいると思う。詳細は省略。

最後にEverything in its Right Placeについて。実はこの曲のライブバージョンは好きではない。アルバムではトムの声が無機的な音とともに断片化されており、その断片の積み重なりのなかに現代的なリアリティが感じられたのだが、ライブでは妙に有機的でモコモコした音になっているため、トムの生声をどれだけ断片化しても、ミスマッチ感のみが強調され、何とも言えずハッピーな音(?)に聴こえる。最後も中途半端でだらしない電子ノイズが鳴り響いて終わる。今回も全公演のラストナンバーがこれだったのだが、この終わり方だけは何とかして欲しい。

ほかにも書きたいけど、疲れたのでここまで。