SUMMER SONIC OSAKA 一日目 2004/08/07/Sat.

●テクノポート大阪
サマソニ大阪は毎年、テクノポート大阪、特に大阪WTCビルディング(!?)周辺で実施される。行くたびに思うのだが、この周辺エリアはバブル崩壊の壮大な跡地と言った趣であり、かなりすごい景観が広がっている。広大な空き地と珍妙な建築しかないのだ。大阪市によるテクノポート大阪なるバブリーな開発計画の見るに耐えない無残な廃墟。
だが、このエリアで音楽イベントを開催することは、場合によってはすごくいいことかもしれない。訪れるものたちは、音楽イベントで盛り上がる前後にこの寒々とした光景を見て、虚ろな現実を思い知ることになる。夢心地のまま帰るのではなく、何らかの割り切れなさを抱えて帰る人が数人でも出てくれば、見っけものだ。あるいは、中高生あたりの遠足や修学旅行にもいいかもしれない。そして、大阪WTCビルディングを醜いと思える美意識をきっちりと教える。さらには、NYのWTCのデザイン(ミノル・ヤマサキによるかつてのデザインやダニエル・リベスキンドによる新しいデザイン案)と対比させるなどして、建築の持つ社会性政治性とデザイン性とを交差させつつ資本主義の時代における美学を教えられればベスト。歴史的な遺産はなにも京都奈良だけに限らないのだから。
大阪WTCビルディング。このWTCは機能も建築そのものも崩壊したNYのWTCとは似ても似つかないものであり、個人的には「悪の塔」と呼んでいる(笑)。なぜか。外観がいかにも悪そうだから(笑)。塔の最上部にある展望台は三角錐が逆向きにビルに突き刺さるようなデザインとなっており、昔のSFアニメなどに出てくる悪の親玉の拠点に相応しい。もちろんこの展望台の部分は脱出用ロケットになっていて、追い詰められた悪の親玉は捨て台詞を残しながら逃げていくのだ。この展望台部分は夜になるとピカピカと怪しく光り、本当に悪そうなのだ(笑)。事実、このようなチープな想像を裏付けるかのように、塔の正式名称はなんとWTCコスモタワーと言う。コスモタワーって…。あるいは、現在、夏休み企画としてこの展望台では松本零士展が開催されていることも、上記のようなSF的な想像を補強してくれる*1。大阪WTCについてはここを参照。

サマーソニック2004感想
今年のサマソニは大阪の初日のみ参加した。考えてみれば、昨年のサマソニレディオヘッドを追っかけて大阪初日と東京二日目に参加したので、まぁ似たようなものだったのだけれど…。
さて、今回の回遊は昼ごろにつき、ビールを飲みながら13時からのJURASSIC 5(OPEN AIR STAGE)を観戦。終了後にさっそく休憩(笑)。昼飯を食い、ショップを覗く。次に15時30分からのN.E.R.D(OPEN AIR STAGE)へ。ただし、あまりの歌の下手さにそそくさと退散。OPEN AIR STAGEの連絡板に「BOOM BOOM SATELLITESに入場可」と書いてあったのでSONIC STAGEに移動するも、入場規制で入れず。嘘つき。で、日陰で昼寝。またOPEN AIR STAGEに戻り、NAS。次にMOUNTAIN STAGEに移動し、THE HIVES。またOPEN AIR STAGEに戻り、BEASTIE BOYS
今回はNASビースティー・ボーイズに尽きる。やはりこの両者がすばらしかった。
NASは緊張感のある音のヤバさが際立ち、メッセージ性あふれるライムをリアルに突きつけてくる。ただし、ストリートのリアリティを強烈に印象付けるためのNASのアプローチは、ややドラマチックな音作りに傾斜しすぎているとは言えるかもしれない。これについては賛否両論あるだろう。だが、ジャンルの音作りの自閉性に閉じこもることなく、アクチュアルでありつづけるためのアプローチとして、NASのやり方は僕の耳には非常に説得的に聴こえる。ぜひ屋内のクラブで深夜にライブを聴いてみたい。
ビースティーズHIPHOPという形式を踏まえつつも、常に音楽性をこそ第一に追求しようとする。今回のライブでも強力な音の流れを次々と生み出してきて圧倒的だ。そもそもHIPHOPは単調になりがちなジャンルではある。だが、彼らは音楽的にはロックを組み合わせ、MCも一人ではなく三人が次々とめまぐるしく交代することによって、ハイテンションを持続させつつ飽きさせない。今回のライブでも強力な3MCはやはりお見事。動きも三人それぞれが広いステージ上を右へ左へと分散し、次々と立場を入れ替えることで、躍動感のあるステージを生み出している。DJのバカうまテクニックも申し分なし。ただ一点残念だったのはサボタージュをやらなかったこと。
最後にTHE HIVESについて。想像以上の人気ぶり。会場は盛り上がりまくり。今回の会場が音響もへったくれもないただの箱のインテックス大阪であったため、確かに彼らのようなガレージロックには最適なステージだ。ガレージロックの音には本物も偽者もない。ただ、ロックのフォーマットに則った転がる速度があり、叫びがある。ただそれだけ。もちろん、その叫びに内面性など求めてはいけない。そんなものはない。ロックが叫べと言っているから叫んでいるだけにすぎない。チープと言えばこの上なくチープ。単純と言えばこの上なく単純。誤解すべきではないが、彼らには叫びはあっても、強暴さは欠片も存在しない。すべてがフェイクと言えばフェイクだ。しかし、その潔さは痛快ではある。
だが、気になるところがないわけではない。それは結局のところ"叫び"の単調さに起因している。"叫び"というのは非常に単調な発声方法だ。絶叫はあくまでも一本調子になり、複雑な音の彩などは期待すべくもない。叫びで表現されうる内容は非常に限定される。叫べば叫ぶほど、音楽そのものは不可避的に単調化してしまうことになるのだ。そして、明らかに彼らは叫びすぎである(笑)。と言うよりも、叫びしかなさすぎだ。もう少し叫び以外の部分をうまく組織化できれば、大きく伸びるかもしれない。

*1:松本零士展ばかりやっている気がするのは気のせいだろうか。昨年末のアンダーワールドの時か、今年春のレディオヘッドの時にも松本零士展が開かれていた。