サム・ライミ『スパイダーマン2』(2004年/米)

スパイダーマン2』は前作に引き続き快調だ。アメリカンヒーロー物では、スーパーマンバットマン以上におもしろいと思う。なぜか。一番の要因はおそらくスパイダーマンの圧倒的な運動神経にある。
確かにスーパーマンは空は飛べるし、強力なパワーも有している。だが、それはあくまでも宇宙人としての基本属性にすぎず、彼個人の身振りは非常に鈍い。クリストファー・リーブの大作りな身体も鈍そうな印象を補強する。もし仮にクリプトン星が消滅していなければ、スーパーマンはおそらくクリプトン星で最も運動神経が良いというには程遠いに違いない。
バットマンは確かにスーパーマンよりは運動神経が良いかもしれない。だが、彼の強さの最大の秘訣はテクノロジーと知性にある(スーパーマンには知性も欠落している)。そもそもブルース・ウェインのように悩んでばかりいる人には、人を驚愕させるような身体の動きなどできはしない*1。せいぜいのところ、不意打ちの攻撃で驚愕させるぐらいが関の山だ。まして、ゴワゴワしてかさばる憂鬱の化身そのもののようなバットマンスーツは、それを着て戦う者の身体に対して運動能力に大きく制限をかけてしまう。
では、スパイダーマンはどうか。彼こそは運動神経そのもののヒーローであり、ビルの谷間を飛び回る都会の猿だ(蜘蛛というよりも)。圧倒的なスピードで街中を飛び回りながらの、体をよじった独特のありえない身体のポーズなど、自らの身体能力に対する喜びに溢れている。スーパーマンが空を飛ぶシーンにしろ、バットマンカーが爆走するシーンにしろ、それらは直線的な動きにすぎず、マッチョな迫力はあるとしても、運動の喜びとは程遠い。スパイダーマンはアクロバティックな身体の運動を賞賛する、これまでにない曲線的なヒーローなのだ*2
スパイダーマンの運動の根幹には重力との戯れが存在している。すなわち、重力を無視するスーパーマンや重力に呪縛されたバットマンとは異なり、スパイダーマンは重力をその身に受けつつも逆手にとることによってすばらしい運動を生み出すのだ。蜘蛛の糸をビルにくっつけては、重力に身を任せて大きくスウィングし、落ちる前にまた次の蜘蛛の糸を別のビルにくっつけ、またスウィング…。重力をうまく活用することによって生み出される運動。これは原理的には僕らの身体の運動と同じであり、ターザンごっこ、ブランコ、雲梯などの身体的記憶を呼び覚ます。だからこそスパイダーマンのスウィングは僕らの身体感覚を刺激してやまないのだ*3
スパイダーマンシリーズは彼の運動だけで見る価値がある。それらに比べれば、スパイダーマンが抱えるヒーローとしての悩みなどどうということはない。惜しむらくは彼の敵がグリーンゴブリンにしろ、ドクター・オクトパスにしろ、テクノロジーに頼るバットマンタイプの悪役であることにある。圧倒的な身体能力を誇る悪役とのバトルがぜひ見てみたい。

*1:スパイダーマン2』でもピーター・パーカーが悩んでいるとスパイダーマンとしての能力は弱体化する。

*2:あえて言うならば、ターザンが先駆者ということにはなるかもしれないが、ターザンの動きには運動することの歓喜が感じられない。純粋な運動を見るには、文化人類学的なまなざしも介在してしまう。

*3:この点については、古谷利裕の2004年8月7日の日記が的確に指摘している。