訳の分からない日本語の力 その3

ヤプーズ / ダダダイズム
「訳の分からない日本語」という意味では、やはり表題曲である「ダダダイズム」や、訳の分からないロシア語を交えつつ「生き残ってあなた、のさばってあなた」と歌う「VIP 〜ロシアよりYをこめて〜」などを選ぶべきかもしれないが、一番大好きな「NOT DEAD LUNA」について触れたい。
この歌は死のうとしても死に切れない強靭な生命力の讃歌(?)だ。戸川純が自殺未遂で死に切れなかった時にも、ファンから歌ってほしい、忘れないで欲しいという声が多かった名曲。少し引用してみる。

塩酸も飲んだし、頸静脈も切ったが
私は死ななかった 死にゃしなかった

  輝く月明かり まぶしいほど強い

5階から飛んだし、信号も無視した
だけど死ななかった 死にゃしなかった

  月夜に染み渡る きらきら水の色

そして急に恋に落ちた 夢中になった
もうガンガンに愛し合った 幸せになった
やがてまたひとりになって 見上げた空に
月がまるでいのちのよう 光って見えた

要するに、月を生命力の象徴として捉えた歌だ。「死のうとしていろいろ試みた時でも、いつも月はきれいだった。そうこうしているうちに恋に落ちて幸せになり、やがてまた一人になった。その時にも月はきれいにだった」という泣かせる歌。月は太陽ほど強く輝きはしないけれど、太陽と違い、自分だけのために輝いているかのような錯覚を人に与える。その感覚を上手く捉え、死にそうな気分と生命とのブリッジとしての機能を担わせ、見事な表現に落とし込んでいる。
曲調は力強いエレポップ調。戸川純のファルセットも光る。
2番では「もう私は絶望を見るときも私は死なないだろう」と歌い、「夢中になってガンガンに働いて金持ちになった。でも、それもいずれすべて失ったとしても、月は命のように輝いているだろう」と結ぶ。
この歌を聴いてしまえば、簡単に死に切ることはできなくなってしまう。戸川純自身、そのことを証明している。もし僕が自殺を試みようとするならば、その時には必ずこの曲を思い出してしまうだろう。それほどにこの曲は僕に染み付いてしまっている。思い出してしまえば、僕は死に切れないかもしれない。やばい曲。
ちなみに、このアルバム収録の「コンドルが飛んでくる」もすばらしい。ひたすら走り続けることを歌っている曲なのだが、最後の最後に羽が生えて進化を遂げる。
「かの場所」を目指して走り続け、親兄弟を振り切って(笑)、丘を超え、谷を渡り、沼につかり、はだしの足は血まみれになって走り続けていると、そのうちに腕にうずくものがあり、皮膚を突き破り、太い羽が生え、歌の最後では、足が宙に浮いて、大きな羽がはばたくところで終わる。ひたすら疾走し続けた先の進化のひと羽ばたきが輝かしい未来を予兆させて感動的だ。