テオ・アンゲロプロス / エレニの旅

 アンゲロプロスが『永遠と一日』から6年ぶりに発表した新作。アンゲロプロスはもともと20世紀全体を描く1本の作品を予定していたのだが、あまりに長くなりすぎるため独立した3つの作品として構想しなおし、その1作目として本作を完成させた。
 久々のアンゲロプロス作品だが相変わらずのクオリティだ。あらゆるショットが圧倒的な完成度を誇っており、最後まで目を離すことができない。確かに以前の彼の映画と比べてかなり分かりやすいものになっているかもしれない。だけど…
 あまりの感動でうまく消化できないので、結論めいたことを書くことは避け、幾分取り留めなく書いておくことにしたい。
 物語は1919年、赤軍に追われオデッサから逃げてきたギリシャ人難民の一団がギリシャ北部にたどり着くところから始まる。遠くに河が見える荒野を画面手前に向かって歩いてくる難民の一団を捕える冒頭の長まわしのシーンから、その画面の美しさはただ事ではない。いや、「美しさ」と言うよりも「力」と言ったほうが良いかもしれない。アンゲロプロスらしい曇り空の下、黒い服を身にまとった人々が荒野を歩いてくる映像の力。彼らが落ち着いた先に作る街はニュー・オデッサと名づけられる。
 この映画はエレニとその恋人アレクシスを主人公にしているが、描かれているのはいつものようにギリシャの現代史であり、寄る辺ないギリシャ人たちにほかならない。曇天の下、彼らはいつも黒い服を身にまとっている。そして、歴史は彼らの上に重くのしかかっていく。難民生活、台頭するファシズム第二次世界大戦、そして内戦。
 全体的に悲痛な映画だが、それでも前半にはそれなりに希望が宿っているのはそこに音楽があるからだ。アレクシスをバンドに誘う廃屋のシーン、エレニとアレクシスが自分たちの双子の息子と打ち解けるシーンに響く楽器の音、ファシズムに抵抗して廃墟となっている昔の酒場で開催される演奏会のシーン、アメリカに旅立つアレクシスを送り出すために演奏される白い布の丘でのバンドのシーンなど、音楽が流れる瞬間にだけは確実に自由の感覚が画面に宿る。
 だが、全体的には悲劇的な歴史が全編を覆い尽くしていることは否めない。しかもその端正な描写が圧倒的なのだ。
 例えば、民主主義を信じて政府に反抗する闘士ニコスが銃で撃たれて死ぬシーン。白い布の丘でバンドマンたちがアレクシスを送り出す音楽を演奏していると、銃声が聞こえ、皆が逃げ出す。その後、幾重にも吊るされた白い布の向こうから流血する腹を押さえたニコスが姿を現す。彼はよろよろと白い布のあいだを歩きながら、白い布に手が触れると布に赤い血がついていく。だが、それをことさら刺激的に描くのではなく、白い布にわずかに付着していく赤い色があまりにも悲痛なのだ。
 あるいは、やはり難民の街ニュー・オデッサの美しさについて触れておかないわけにはいかない。前半のニュー・オデッサも見事だが、水没したニュー・オデッサの廃墟の美しさはやはりただ事ではない。ラストシーンではほとんど町全体が水没したニュー・オデッサが舞台となるのだが、その美しさに至っては孤独そのものの美しさとしか言いようがない見事さだ。
 馬鹿みたいな感想になってしまったことは自覚しているが、まだこの映画の全容を捕えられそうにない。