マウリツィオ・ポリーニ @ サントリーホール 2005/11/03/Thu.

 今回のポリーニ来日公演は、オール・ベートーベンとオール・ショパンの2種類のピアノ・リサイタルと、彼が選んだ現代音楽を、彼自身を含む奏者が演奏するポリーニ・プロジェクトⅡとで構成されている。ポリーニ・プロジェクトⅡは2002年に開催された第一回目に続く企画だが、前回が全9夜に渡る大型プロジェクトであったのに対し、今回は1日のみなのは、少し残念ではある。だが、あまり贅沢を言ってはいけない
 前回のポリーニ・プロジェクトでは、第一夜にあたるブーレーズポリーニのまさかの競演! のリハーサル(笑。本編は売り切れで買えなかったのだ。ところで、意外なことにブーレーズポリーニはほとんど競演していない。この来日時が見る最後のチャンスだったかもしれない)、第七夜(ブラームスヴェーベルンシュトックハウゼンベートーヴェン)とともに、第三夜のマレンツィオ、ジェズアルド、ノーノのプログラムを見に行ったのだった。それら充実した各プログラムなかでも、とりわけ印象的だったのは第三夜におけるノーノの「…苦悩に満ちながらも晴朗な波…」だった。
 今回のポリーニ・プロジェクトⅡにおいても、ノーノの「…苦悩に満ちながらも晴朗な波…」は取り上げられている。正直言って前回ほどの衝撃は受けなかった。この曲はノーノがポリーニのために作った曲であり、ポリーニのピアノを加工したテープ音源とポリーニ自身の生演奏とで構成されているのだが、ポリーニ自身の生演奏が前回ほど音がクリアでないような気がした。指先から鍵盤に加えられる打撃の鋭tさが衰えたのだろうか? とは言え、これだけの演奏が聴ければ文句はない。なにしろこの曲のCDと生演奏との圧倒的な違いは、一度触れれば誰の耳にも明らかなのだ。圧倒的な緊張感が会場中を埋め尽くす。
 ノーノの作品からはもう一曲、日本初演の「森は若々しく生命に満ちている」が取り上げられている。この曲はベトナム戦争をきっかけに作られたものであり、タイトルの傍らに「ソプラノと3人の役者の声、テープ、クラリネット、パーカッションのための」と付けられていることから分かるように、人の声を除けば、音響と打楽器だけで構成されている*1クラリネットはあるものの、その音もメロディを形作ることはなく、ソプラノのキンキンとした叫び声の等価物のように使われている。朗読されるテクストは、キューバの革命家フィデル・カストロコンゴ独立後の初代大統領パトリス・ルムンバ、アルジェリアの思想家フランツ・ファノン、一般労働者たちの言葉から織り成されている。
 この日の演奏でもっとも圧巻だったのが、この「森は若々しく生命に満ちている」だ。この作品で使われているパーカッションは単なる金属板なのだが、4人の演奏者が金属板をスティックのようなもので、ゆっくりと引っかくように音を出すところからこの曲は始まる。会場にメタリックな音の響きが広がっていく。テープ音響とともに緊張の糸がピーンと張り詰めていく。
 そして、ついに声楽担当者たちが息を吸い込み、マイクに向かって朗読を始める。いや、朗読と言うと語弊があるかもしれない。最初に発せられる言葉は「マルクスが言っていたように、我々は先史時代にいる」という無名の機械整備工の言葉なのだが、その言葉を複数の男女がまちまちに、ゆっくりと、叫ぶように、音声化していくため、バックの音とともに、ほとんど音響であるかのような効果が重視されている物質性の高い声なのだ。メタリックな音響のなかにゆっくりと断片的され、積み重ねられていく叫び。この段階でもう心は奪われてしまった。
 この作品には完全に確定されたスコアは存在していない。ノーノはこの作品を演奏するときに、可能な限り初演時のメンバーを集めて再演していおり、完全に別の演奏家で演奏する際にはノーノも苦慮したらしい。ノーノの死後、演奏ノートや楽譜の一部、録音などをもとに構成されたスコアが発売されているものの、今回の演奏もかなりの困難があったことが予想される。しかし、非常に見事な演奏であり、これだけでも来た甲斐はあったと言うものだ。
 プログラム後半を占めるノーノの曲だけで既に長くなってしまった。プログラム前半については簡単に。
 アンサンブル・アンテルコンタンポランのクラリネット奏者アラン・ダミアンによる、ブーレーズの「二重の影の対話」。CDと比較し、思った以上にシアトリカルな曲だ。テープに録音されたクラリネットと、生演奏のクラリネットとが重なりながら交互に演奏されていく。テープのときには舞台は暗転。生演奏の時にはダミアンのところにのみスポットライトがあたる。自らの分身たる音との対話。対話と言っても、ほとんど交互のモノローグに近い。忘れがたい不思議な印象が残る。
 ダミアンとポリーニによるベルクの「クラリネットとピアノのための4つの小品」も見事だ。4つを合わせても数分程度の曲とは言え、この曲は拍手に答えて、そのまま続けて2回演奏してくれた。この曲の順番はブーレーズの「二重の影の対話」に続く2番目であり、前半の演目さえまだ終わっていない段階であるにも関わらず、だ。小品とは言え、珠玉の輝きを帯びた名曲だ。
 ポリーニ自身によるシュトックハウゼンピアノ曲Ⅶ」「ピアノ曲Ⅸ」も申し分ない。ピアノの音がメロディを構成せず、打楽器のように単音を次々と繰り出していくのは、ポリーニが得意とする領域であり、つまらない音になるわけがないのだ。
 今回のポリーニ・プロジェクトも非常に充実した演奏会だった。もちろんせっかく来日した以上、ポリーニの演奏を聴きたいのは当然だが、それ以上に充実した現代音楽のプログラムを聴く機会として、ポリーニ・プロジェクトはぜひ再度企画して欲しいと思う。前回のように現代音楽以外のクラシックのプログラムを入れて構成するのも良いが、これだけ充実した現代音楽のプログラムを聴ける機会はなかなか恵まれないのだ。今回もオール・ベートーベンやオール・ショパンのピアノ・リサイタルとは異なり、ポリーニ・プロジェクトのチケットはなかなか売れていなかったことからも、この手の公演が難しいことは承知だ。
 ところで、本公演の音響はノーノとの関係も深い、フライブルク南西ドイツ放送局ハインリッヒ・シュトローベル記念財団実験スタジオが担当している。そのスタジオのディレクターとして来日しているアンドレ・リヒャルト自身もノーノとの強い協力関係で知られている。また、当スタジオとリヒャルトは、1998年に秋吉台国際芸術村コンサートホールにおけるノーノ作「プロメテオ」初演の際にも来日しており、その時に開催されたシンポジウムはWEB上で読むことができる。リヒャルトはそのシンポジウムのスピーカーではないものの、フロアからの発言が記録されている。
 
シンポジウム「ルイジ・ノーノと《プロメテオ》」
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic027/html/128.html
 
ポリーニ・プロジェクトⅡ プログラム
ブーレーズ 二重の影の対話
・ベルク クラリネットとピアノのための4つの小品 op.5
シュトックハウゼン ピアノ曲Ⅶ、ピアノ曲
・ノーノ …苦悩に満ちながらも晴朗な波…
・ノーノ 森は若々しく生命に満ちている
 

*1:もちろんポリーニは演奏に参加しておらず、彼は客席に混じって鑑賞していた