ヴァレリー・アファナシエフ @ しらかわホール 2005/11/13/Sun.

 「メランコリックなオランウータン」こと鬼才アファナシエフのオール・ベートーヴェン。すばらしい! 率直に言って、今のアファナシエフの前には帝王ポリーニも怪物ポゴレリッチも色あせてしまう。ポリーニのS席が22,000円、ポゴレリッチのS席が12,000円(プラチナ席は17,000円)に比べ、アファナシエフのS席が6,000円なのが信じられない。あまりに価値の転倒が起こっているのではないか。しかも、残念なことに名古屋公演は席が余っていたのだ。
 例によって、アファナシエフの演奏は遅い。しかし、単に遅いというよりも、いくつかの部分において極端に遅くなる。いや、時間が止まるというほうが正確かもしれない。
 彼は鍵盤を叩くというよりも、押さえるような指使いをすることによって、音に無限の質感を与えている。鍵盤を押さえるように弾いていくということは、物理的には、鍵盤を叩いた場合よりも、押さえきったままの状態で0.001秒ぐらい長めに維持しているだけなのかもしれないが、それによってまったく次元の異なる音が作り出されている。
 彼がピアノを奏でると、鍵盤を押して音を出すというよりも、鍵盤から指を引き離すたびに、冥界からこの世に音が引きずり出されてくるかのようだ。この世ならぬ場所から音を引っ張り出してくる装置としてのピアノ。
 一曲目の「テンペスト」から驚異的だ。ゆっくりとポロンポロンと弾いたかと思えば、じっと止まる。アファナシエフは俯き、じっと耳を澄ましながら、一本の指でゆっくりと鍵盤を押さえる。ひとつの、無限の質感を湛えた音が会場中に響きわたる。そして、またひとつ…。この恐るべき瞬間をどう言葉にすれば良いだろうか。この場所で、音というものに初めて出会うかのような瞬間が次々と訪れる、この驚異的な演奏をどう言葉にすれば良いだろうか。
 
ベートーヴェン・プログラム
・ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」 op.31-2
・ピアノ・ソナタ第15番「田園」 op.28
・ピアノ・ソナタ第10番 op.14-2
・ピアノ・ソナタ第27番 op.90
アンコール
・ピアノ・ソナタ第3番第2楽章