ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 / 「カフェ・ミュラー」「春の祭典」 @国立劇場大劇場 2006/04/08/Sat.

 10ヶ月ぶりのヴッパタール舞踊団の公演。毎年、見ることができるのは嬉しいことだ。今回は来日20周年を記念し、その初来日の際の作品「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」の再演だ。後者は75年の、前者は78年の作品。
 ステージ一面に敷き詰めた土を巻き上げながら激しく踊る「春の祭典」の群舞も忘れがたいが、やはり「カフェ・ミュラー」が素晴らしい。「カフェ・ミュラー」はペドロ・アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』内で取り上げられていることでも有名。そう、ピナ・バウシュ自身も踊るあの作品だ。
 ステージ上に何十台と置かれた木製の椅子と小さな丸テーブル。女性ダンサーが歩き進むのを妨げないように、男性ダンサーは椅子や机を次々と押しのけていく。ステージ上はあっという間に椅子と机が散乱していく。3月のウィリアム・フォーサイスの公演では碁盤目上に配置した机のあいだで大勢のダンサーたちが驚くべき速度で即興ダンスを踊っていたが、ピナの場合、椅子(小さな丸テーブルは椅子みたいなものだ)は身体よりも優位な存在感を誇示することなく、次々とひっくり返っていく。フォーサイスの机、ピナの椅子。
 ステージ左奥の壁際で哀しみをゆっくりと踊るピナ・バウシュと、ステージ中央で哀しみを激情的に踊る女性ダンサー。ほとんど同じ振り付けを踊っているのだが、速度や力が異なるため、ふたりの動きは同期したかと思うとずれていく。この両者の動きのあいだに哀しみの感覚がぴんと張り詰める。ステージ中央の踊りだけなら、分かりやすい激情の表現にすぎない。女性ダンサーはおそらくはピナの分身であり、過去の記憶だ。実際の過去と現在の記憶には必ずズレの介在が不可避的だ。
 ドミニク・メルシーと女性ダンサーとの絡みも忘れがたい。抱き合うふたりの腕が男性ダンサーによってひとつずつ引き離され、最終的にはメルシーに女性ダンサーを抱き上げさせるに至るシークエンス。メルシーはいずれ女性の重みに耐え切れず、女性を下に落とすことになる。女性ダンサーは落ちるや否や起き上がり、またふたりは力強く抱き合う。だが、また男性ダンサーがふたりの腕を引き離し……。同じ動きを何度も繰り返すことによって、腕の力がなくなっていき、メルシーが女性を腕から落とすまでの時間も早くなっていく。そして、男性ダンサーがいなくなってからも、抱き合うふたりは自ら腕を引き離し、同じ動きを反復していくことになるだろう。身体に染み付いた動きの記憶。そして、数え切れないほどの反復の後、ようやく邪魔が入ることなく抱き合うふたりには当初ほどの情熱が失われてしまっている*1
 「カフェ・ミュラー」で反復が主要なモチーフとなっていることは明らかだ。過去の想起は完全な再現ではありえず、動作の反復もそれが身体の動きである以上、必ずズレが生じる。そして、その反復のなかで重要なものが失われていく。ピナ・バウシュにとって、反復とは逃れ得ない宿命のようなものだ。最後には、冒頭と同じく闇が訪れ、その闇のなかをピナはゆっくりと歩き去っていく。暗闇のなか、ピナがぶつかっている椅子の音だけが静かに会場に響きわたる。
 

*1:ほかにも、壁際でメルシーと女性ダンサーが交互に相手を抱え、そのまま半回転して相手を壁に叩きつけるシークエンスの反復は忘れがたい。