岡崎乾二郎近作絵画展 @ 近畿大東京コミュニティカレッジ GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE

先日、データを消失させてしまった岡崎乾二郎近作絵画展の感想を再度書き直した。と言っても、同じことを書く気になれなかったので内容はかなり変わってしまったのだけど。
岡崎乾二郎の作品を見るのは2002年秋に軽井沢セゾン美術館で開かれた展覧会以来なので、1年半ぶりだ。2002年の展覧会は初めての大規模な個展であったため、まとめて彼の作品を見ることができる絶好の機会だったが、その展覧会で強烈な印象を残したのはまさに90年代以降の絵画作品であり、今回の出品作品も同じ作品群に属する。アクリルで描かれた非常にカラフルな抽象絵画群。よく言われていそうなタイプの例えを用いれば、キャンパスのうえにさまざまな色のドロップ(飴玉)を無作為にぶちまけ、それらをギュッと強く押し付けることによって、いろいろな形態を生み出し定着させたかのような画面だ。ただし、すべてが計算された。
岡崎の絵画について何か特別な感想を述べることは難しい。と言うのも、どうしても岡崎理論に則った形での解釈を語ってしまいそうになるからだ。そこから逃れて何を語ることができるだろうか。既に愚直に語ってすら、彼の理論の上で踊ってしまう。パッと見のカラフルさや楽しさ。ディテールを読み込み始めて以降の複雑な対応関係の発見。そして、その読み込みプロセスにおける画面のある種の消失と、細部同士の豊かな反響の複数的な立ち現れ…。だが、こうしたことを追体験し、それを自分なりに具体的に語りなおしてみようとはあまり思わない。
ところで、今回の展覧会の作品はこれまで以上に分かりやすい作品だと思う。すべて二枚一組で構成されている点もそうだが、それら二枚の対応関係がこれまで以上に明瞭であり、基本的には律儀に同じ図形が同じ場所に描かれている。だが、対応関係が明瞭になったとはいえ、問題なのはあくまでも見ることの経験の複雑さにある。例えば、やはりなんだかんだ言ってもジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義絵画と似ているという感覚は否定できないのだが、しかしそれよりもはるかにシンプルでありつつ一層複雑な感覚が与えられるのはなぜなのだろうか。とりあえず今は結論めいたものを出せないのだけれど。