盛田隆二『ストリート・チルドレン』(新風社文庫)、『夜の果てまで』(角川文庫)

盛田隆二を知っている人というのはどういう人なのだろうか。小説好き? まぁそうかもしれない。だが、80年代のニューアカデミズム以降のポストモダンな文化状況に興味を持っていたというカテゴリーに属する人も一定数いるのではないだろうか。90年に『ストリート・チルドレン』で盛田隆二が登場した時、柄谷行人が評価したということでかなり注目されていた印象がある。当時の柄谷は前年に『探求Ⅱ』を発表し、多くの若者の考え方に圧倒的な影響を与及ぼしていた、と言うのは嘘で、やはりほとんどの人は柄谷行人の名前を知らなかったし、興味もなかった(笑)。だが、少なくとも文学や思想・哲学などに興味を持つ若者のなかにおいては、圧倒的な存在感を誇っていた。
で、僕などもご多分にもれず柄谷行人の著作は出るたびに読んでいたくちなのだが、盛田隆二は気になってはいたものの結局のところ読む機会がなかった。これは単に出会い損ねたというだけの話。今回、昨年11月に『ストリート・チルドレン』が、今年の2月に『夜の果てまで』が初めて文庫化されたためまとめて読んでみた。前置きが長くてなんだけど、結論を言えばたいしておもしろくない。延々と批判を書くのも退屈なので簡単に。
『夜の果てまで』はかったるい恋愛小説。念願の新聞社に就職も決まった北大生がひと回り年上の人妻と恋に落ちて駆け落ちし、就職も棒に振り、いろいろと悩むんだけれど最終的に彼女と生きていくことを決断するという物語。要約すればこのような話なのだが、特に後半の収束については次々と先が読めてしまい退屈。別に物語なんてそもそも単調なものだと割り切ってもいいのだが、その場合は物語の単調さを凌駕する文章の過剰さを期待したいところだ。三人称多元描写もあまり効果を上げていない。
『ストリート・チルドレン』はそれよりはおもしろかった。この小説では「花園神社を中心に新宿三百年の歴史が描かれている」(柄谷行人)のだが、主要登場人物が次々と出てきては子供を作り、その子供がまた子供を作り、その子供が…と、万世一系の歴史でもその他一族の歴史でもなんでもない「家系ならざる家系」が描かれていく。もちろん何らかの遺伝子的なものが描かれているわけでもない。アミダクジのようにとにかくは何らかの形で次の世代へとつながっていく。その意味では三島由紀夫中上健次の小説とは異なる。だが、こういう「いい加減さ」には物語ではない小説としての魅力を醸し出す余地がある。下手にセンチメンタリズムに流れていないところも好印象。だが、時代時代に語られる個々の話にそれほどの魅力が感じられず、文章の持続を追い続けることがいささかつらい。ここから『夜の果てまで』のセンチメンタリズムへと後退してしまったのも分かる気がする。もう盛田隆二の作品は読まない可能性大。