微妙な分裂を抱える「ウォッチング・ユー」

ザ・シャーラタンズ / アス・アンド・アス・オンリー
良いアルバムなのになぜかいまひとつ売れずないアルバムがある。例えば、R.E.M.の『ニュー・アドヴェンチャーズ・イン・ハイファイ」。個人的にはR.E.M.のなかでも最も好きなアルバムと言ってもいいくらいなのだが、『モンスター』の爆発の後ではあまりパッとしなかった。
このシャーラタンズのアルバムも同様だ。良い曲ばかりなのに、今ひとつ売れなかった。
このアルバムの曲は好きな曲ばかりなのだが、アルバム最後に収められてる(ただし、日本版ボーナストラックは除く)「ウォッチング・ユー」という曲は非常に気になる曲だ。一番好きな曲だという訳ではないし、名曲という訳でもない。しかし、妙に忘れられない曲なのだ。
この曲はタイトルから分かるように、恋愛の歌だ。君を見つめるということをモチーフにしつつ、要するに君に出会って自分は変わったんだという歌。
では、何が気になるのか? この曲は恋する気持ちを歌っているのだが、なぜか途中で「僕らの友だちはみんなどこにいるんだろう?」「僕らの友だちを見てごらん。彼らがダメになっていくのを…」と、友人たちの境遇の悲惨さが挿入される。これがすごく違和を生じさせている。
シャーラタンズが出てきたマンチェスターは労働者の街だ。失業率も高い。荷物を下に置いて、一瞬目を離したら次の瞬間にはなくなっているとまで言われている。仮に自分が幸せになれたとしても、友人たちもそうなれるとは限らない。

僕たちの友だちをごらんよ。
彼らがみんなダメになっていくのを。
彼らがみんなダメになっていくのを。
僕にはほとんど何の感情も起こらない。
まるではいはいを始めたばかりの赤ん坊のようだ。
君と一緒にいるときは、ただ君が微笑むのを見たいだけ。
必要なのは心が満たされること。
それには、まだ道のりは長い。

まわりがどうなっても、僕は君を見つめていられればそれで幸せだ。この曲が歌うのはこのような残酷な光景である。そのため、この曲を聴いていると、恋愛の幸福感と社会的悲惨さとのあいだで引き裂かれ、恋愛の歌として素直に感情移入することは難しい。
このような聴き手の分裂はメロディによっても促進される。シャーラタンズはこうした内容をメランコリックなメロディで歌っていくために、聴き手はこの二人が幸せだとは思えなくなるのだ。例えば、最後の盛り上がりでは、「長い時間をかけて、ようやく君に出会えた」と繰り返し歌われる。この"I found you"と盛り上げる最後の最後の"you"の部分で音程がドンドンと下げられ、盛り下がる。つまり、ラストのさびを何度も繰り返し盛り上げつつも、その度に最後の最後を一瞬にして盛り下げていく。そのためこの二人が幸せになれるとはとても思えない。ノー・フューチャー。