佐藤優 / 中国と田中均 日本外交の罠(『文藝春秋』2005年6月号)

 2005年5月5日のエントリ10日のエントリに続いて、佐藤優ネタ。この文章はタイトルが示す通り中国問題をテーマにしており、内容は5月10日のエントリと重なるが、対談でない分、こちらのほうが内容は詳しい。
 相変わらず様々に披露される外交のロジックや外交術はやはりおもしろいのだが、いくつかよく分からない点もある。例えば、下記のような点については、根拠を説明してほしい。
 
 ・今回の中国の反日暴動が20世紀アジアの歴史的経緯と全く関係ないとなぜ断言できるのか? 真相究明、謝罪、犯罪者の処罰、被害に対する補償、再発防止措置を求めるというのはよく分かるのだが、歴史的経緯とは全く何の関係もないのだと断言する根拠は何か?
 
 ・BSE問題がなぜ日米間最大の問題として重要視されるのか? BSEが日米間の問題であることはわかるのだが、最大の問題とする根拠は何か?
 
 ・プーチンが「対ファシズム勝利60年」というスローガンを仕立て、世界の枠組みを現在のような冷戦構造の延長線上にあるものから41年以前に戻そうとしているというのは興味深い指摘なのだが、ドイツがすぐさま謝罪すると同時に、昨年シュレーダー首相がプーチンの故郷であるサンクトペテルブルクの町の孤児院から養女をもらい、「ドイツ首相の養女はドイツ人だ、これこそ独露新時代の象徴だ」という見事な布石を打ってのけたというのは、それほどに凄いことなのだろうか? 実のところ外交関連の文章を読んでいて時々ピンと来ないのは、この種の、ある特定の対応を凄い凄いと言い募るようなところで、外交の現場にいない人間にとっては理解が難しい。こんなのはちょっと気が利いた対応という程度に過ぎないのではないか? 例えは良くないかもしれないが、企業同士の仲が険悪になったときにすかさず先方の社員を野球観戦に誘ったとか、先方の社員の子供の一人にお年玉をあげたとか、と同じようなことに思え、やっても悪くないかもしれないが、なぜそれほど凄いことなのかが分からない。