ヤノベケンジ キンダガルテン@豊田市美術館
万博を意識して開催されているこの展覧会にはヤノベケンジ的な世界がいかにも広がっている。僕が彼の作品を見るのは2002年にキリンプラザ大阪で開催された展覧会でのデメとスタンダという2対のロボット(ビバ・リバ・プロジェクト)以来だ*1。
率直に言って、僕は彼の作品をそれほど見事だとは思わないし、あまりにもシンプルなコンセプトをベタに展開しているこの手の作品は苦手と言ってもよい。ヤノベケンジは誇大妄想狂などと言われたりもするが、僕には単に子供っぽい夢想に思える。大阪万博にとりつかれた男というよりも、大阪万博に依然あこがれ続けている少年のような夢…。
だが、それでもひねりのないコンセプトをまんま裏切ってしまう作品群は意外におもしろいと思う。環境に悪いディーゼルエンジンでゆれるだけという「ロッキング・マンモス」における端的なしょぼさ。あるいは、子供の言うことしか聞かない巨大ロボ「ジャイアント・トらやん」における、実のところロマンとも迫力とも無縁の木偶ぶり。少なくとも愛知万博のトヨタ館のロボットカーなどよりは断然おもしろい。
なぜヤノベケンジをおもしろいと思ってしまうのか。
いま愛知万博が開催されている。そこではロボットを含むさまざまなテクノロジーが展示されているだが、ただ未来の感覚だけが存在しない。子供の頃、未来都市や未来のテクノロジーのイメージにわくわくした記憶がないだろうか。21世紀に対しても大きな期待がなかっただろうか。おそらく大阪万博にも未来があったに違いない。
だが、もはや僕らにそのような未来の感覚は失われている。僕らは21世紀人であり、大阪万博を見ていた人々にとっては未来人そのものだ。だが、未来人には未来が失われている。つまり、愛知万博のあれこれのテクノロジーを見ても現在の延長線上にしか見えない。すべてが「想定の範囲内」に見えてしまうのだ*2。
愛知万博には未来も過去もない。単におにテーマパークにすぎない。いや、テーマパークとしてなら、ディズニーランドやUSJの方が資本の論理が徹底している分、目配りが効いていてはるかに楽しめる。
だが、ヤノベケンジの作品には少なくとも過去がある。ここにあるのは大阪万博の残滓であり、その過去にこだわり続けることによって、少なくとものんべんだらりとした現在への違和を生じさせることができている。別にベンヤミンを引くまでもない。だが、そうであっても、まだまだ物足りないのは事実なのだ。
ちなみに、豊田市美術館は谷口吉生による幾何学的でエッジの効いた建築も美しく、一見の価値がある。
豊田市美術館
http://www.museum.toyota.aichi.jp/