北村薫 / ニッポン硬貨の謎

 北村薫の<円紫さんと私>シリーズは大好きで、『空飛ぶ馬』を初めて読んだ時の喜びは今でも覚えている。
 言うまでもなく、現在においては密室殺人などの不可能犯罪にはリアリティがなくなりつつある。近代化が進展し幻想文学が成立しえなくなった時代において、幻想文学の後継者として登場したのがミステリーだ、というようなことを論じたのは笠井潔だった。鍵のかかる部屋という、本来、個人を守るはずのものの真っ只中で人が殺されることによって、見慣れた部屋が恐るべき未知なる異形のものとして立ち現れる衝撃。これこそが現代に残された最後の非日常的な領域であり、要するに幻想的なものの最後の砦としてミステリーが生まれたのだと、そう笠井はそう論じていた。
 だが、その仮説を受け入れるにしても、文学や落語についての豊富な知識をさりげなく織り交ぜながら、日常的ななかにふと現れるちょっとした謎を鮮やかに解決するミステリーを書いてみせる北村薫の登場は、現代における本格ミステリーのひとつのあり方として見事な存在感を示していた。そのシリーズ上で、文学上の謎についてロジカルに取り組む作品なども、非常におもしろく読むことができた(もちろんこちらの路線で言えば、歴史上の謎にミステリーとして切り込む高木彬光邪馬台国の秘密』や、パロディとして展開する鯨統一郎邪馬台国はどこですか』などのような作品もあるのだけれど…)。
 さて、今回、北村薫が取り組んだのはなんと本格ミステリーの神様エラリー・クイーンだ。しかも、エラリー・クイーンの国名シリーズの未発表原稿、しかも日本を舞台にしたものが発見されたという設定で、その原稿を北村薫が訳したものとして、この『ニッポン硬貨の謎』という作品が書かれている。
 だが、率直に言って、いまひとつの出来栄え。結局のところ、以上のような設定がすべてでっち上げであり、すべては北村薫の創作だということが読者には明白に分かっているため、北村薫による訳注という設定での細かなこだわりなどは確かにキッチュなおもしろさがないわけではないものの、やっぱりそんなものはどうでもいいのだ。要するに、ミステリーとしての直球勝負の作品ではないため、単純にミステリーとして読むならばさほどおもしろくはないということ。エラリー・クイーンの作品の模作ぶりに対してニヤニヤ楽しむというような楽しみ方をするのならともかく、本格ミステリーそのものとして楽しむにはやはり弱いと言っておきたい。驚天動地の衝撃を期待するのは間違いだと言うのならば確かにその通りかもしれないけれど、それでもやはり本格ミステリーである以上は驚きを諦めるべきではない。
 

ニッポン硬貨の謎

ニッポン硬貨の謎