ガス・ヴァン・サント / ラストデイズ

 カート・コバーンの最期の日々をモチーフにしたフィクション。感情移入への誘いを一切排したカメラが淡々と凝視する。ニルヴァーナの曲は一切出てこない。
 同じ出来事が異なるポジションのカメラによって何度か見つめなおされることによって、時間軸は曖昧になる。ヴァン・サントはおそらく「最期の日々」をひとつの塊として描きたかったのだ。濃密な何ものかとして。コロンバイン高校の銃乱射事件をモチーフにした前作『エレファント』でも同様の手法が使われていたが、事件が起きる前の若さ溢れる高校生たちのクリアな日常に対応するスタイリッシュな切れ味など、本作では見る影もない(『エレファント』についてはこれを参照)。
 冒頭で「感情移入への誘いを一切排した」と書いたが、『ラストデイズ』で多用されるドア枠や窓枠のフレームのなかに主人公ブレイクを捉える描き方は、それによって登場人物の抑圧された内面を表象する、もともとはメロドラマ映画的な描写手法だ。だが、内面の声やクローズアップ、音楽などによる感情表出が一切禁じられているため、フレームによる枠取りはただ存在を閉じ込め、唯物論的な閉塞感を付け加える。ダニエル・シュミットファスビンダーの系譜。
 この映画は観客に安易な感情の喚起を禁じる厳しさを自らのモラルとしている。だが、いくつかのシークエンスにおいて、そのモラルが弱まる瞬間がある。ひとつはキム・ゴードンが登場する箇所。もうひとつはラスト近くでブレイクの死を知った友人たちが車で逃げるなか、後部座席で友人の一人がギターを弾き、他の人たちが聴き入るともなく聴いている箇所。ともに、クローズアップではないまでも人物の表情を、そして感情を捉える。特にキム・ゴードンは、カートとの生前の交流が影響してか眼差しに感傷が溢れ出しており、この映画が普通のハリウッド映画に最も接近する瞬間を形作る。
 ところで、主役のマイケル・ピットが一人で歌う彼の自作"Death to Birth"はいかがなものか。一方、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「毛皮のヴィーナス」のレコードをかけながら、ブレイクの友人の一人がルー・リードの歌声に合わせて口ずさむシーンは文句なく素晴らしい。
 
ラスト・デイズ公式サイト
http://www.elephant-picture.jp/lastdays/