叙情性の向こう側にある音
●ブラッド・メルドー / ソングス:アート・オブ・ザ・トリオ Vol.3
率直に言って、一聴してあまりにも叙情的でびびった(笑)。叙情的にすぎる音楽は個人的にあまり好みではないこともあるが、単なるBGMとなってしまう弱さを持っているアルバムでもあるのではないか。
ただし、耳を澄まして聴いていると、単に叙情的という言葉ではすまない張り詰めた音が走り抜ける瞬間がある。例えば、2曲目のメルドー作「報われぬ思い」。もともと「報われない思い」という不安定さを抱え込んだ感情を表象するかのように揺れを含んだ曲ではあるのだが、そうでありながらもとても美しすぎる点が欠点だと言えるかもしれない。だが、その曲をメルドー・トリオが演奏するなかで、後半に行くにつれて「単なる感情の揺れ」の表象に留まらない音の緊張感が満ち溢れてくる。
ちなみに、「報われぬ思い」「魅惑されて」「途方にくれて」「憧れ」など、このアルバムに収録されているメルドー作曲の6曲のうちの4曲に、「自分の外にある何ものかに向かう感情」がタイトルとしてつけられていることも象徴的だ*1。一見、単にロマンティックな感情であるようにも思えるが、どれも自分の外部の何ものかに翻弄されるという不安定さを有しているという点で共通しており、メルドーの曲の要点もそちらに向かっているように聴こえる。
ところで、メルドーはレディオヘッドの曲を取り上げることでも知られている。このアルバムにはレディオヘッドの3rdアルバム『OKコンピューター』から「イグジット・ミュージック」が採られている。しかし、これはあまりに原曲に近い分だけ普通な演奏になりすぎていて買えない。ロマンティックにすぎる。確かに原曲自体、個人的にどうかと思う部分もあって好きだと言いづらい。だが、それでも原曲では、静かに演奏される美しいメロディのうえに、世の中全体に対する呪詛に満ちたトム・ヨークのつぶやき(We hope that you choke, that you choke, we hope that you choke, that you choke, we hope that you choke...)が乗っかるという不均衡によって、つい涙を誘われてしまうものになっている。
レディオヘッドについては、例えば2004年4月20日の日記を参照。
http://d.hatena.ne.jp/chem-duck/20040420#p2
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*1:メルドー作曲の残りの2曲は「ソング・ソング」「回復期患者」