いま聴いている音楽  Quetzal

ケッツァル / 「政治と愛」 母なる大地に抱かれて
東LAのラテンロックバンド・ケッツァルのファースト・アルバムを聴きなおしている。99年発売。東LAはラテン系やアジア系が増加する一方である多民族都市だ。そうした多民族的状況のなかから次々と興味深い音楽が現れてきているが*1、このケッツァルもロックのフォーマットのなかにラテン音楽の伝統を流し込み、非常に魅力的な音楽を作り上げている。
実はこのアルバムもCD屋で1曲目を視聴し、即購入したもの。1曲目の「チカーナ・スカイズ チカーナの空」の、負けることなど考えたこともないかのような強力さは反則だ。チカーナとは女性のメキシコ系アメリカ人のことだが(男性のメキシコ系アメリカ人はチカーノ)、チカーナとしてのアイデンティティ宣言が高らかにおこなわれる。マーサの力強くもしなやかな歌声はさわやかで感動的だ。そして、彼女の歌声を支えるように、ギターやバイオリンやドラムやベースがグルーブ豊かに流れるように絡んでいき、聴いていて非常に気持ちがいい。

私はこのチカーナの空のもとで、
夜の闇のなか、月の光に照らされた自らの夢を追い続けている。
私はこのチカーナの空のもとで、
幾重にも重なるレイヤーを壊しながら、自分の本当の姿を探し続けている。

邦題を見ても分かる通り、ケッツァルは政治的メッセージ性を率直に押し出すバンドだ。だが、単なるメッセージソングではない。身の回りのことについて歌うと政治的なものにも不可避的に触れてしまうような状況に彼らがいるだけなのであり、世界的に見れば政治から切り離されているかのようなJ-POPの方こそがむしろ不自然だ。そして、政治と不可分な現実を歌いつつも、ケッツァルの音楽には思わず踊りだしたくなるような魅力が満ち溢れている*2
2曲目の「エル・フゲーテ おもちゃへの渇望」はマーサの母について歌われた歌だ。マーサの母は7歳のときに孤児になった。そのため彼女の子供時代は遊ぶよりも食べ物や居場所の確保に追われた日々であったらしい。この歌で歌われているのは次のような状況だ。「ある時、マーサと彼女の母は、たくさんの子供が縄跳びで遊んでいるのを見つけます。突然、母はそこへ駆け寄り縄跳び遊びで遊び始めたのです。すぐに彼女は我に帰り、本当の歳を思い出し、悲しさに心を痛めたのです」*3。マーサは母親をやさしく抱きしめるかのように、このエピソードを暖かく歌い上げる。しかも、つい踊りだしたくなるような横ノリ系のメロディで。
表題曲の「ポリティクス・イ・アモール 政治と愛」は静かに歌われる美しいラブソング。しかも、日本では決して作られないであろうような詩情に満ちている。

無関心なあなた
あなたのすべて
人生に追い詰められ
何も見えず、頭の中は混乱
批判的なあなた
でもあなたは美しい
私はあなたが欲しい
私はあなたが欲しい

空の果てで会いましょう
鳥や月が高くのぼるその場所で
人生に追い詰められたところでも、私を愛して欲しい

ほかにもメキシコのチアパス地方の先住民族解放を求めて闘うEZLN(サパティスタ解放戦線)の支持を歌う「グリート・デ・アレグリーア 喜びの叫び」や「トドス・ソモス・ラモーナ 我々はみなラモーナ」など好きな歌は多々あるのだが、既に長くなったのでこの辺で。EZLNについては長くなるので省略。機会があれば日記で触れたいと思うが、ここではひとつだけ告白。実は僕はEZLNのTシャツを持っている(笑)。
ところで、ケッツァルは過去に来日し、渋谷のASIAでライブも行っている。駆けつけて見たのだが、上手いし、楽しいし、文句なく最高のライブだった。ぜひ再来日してほしい。

*1:今年のフジロックへの来日が決まったオゾマトリもすばらしい!

*2:ただし、最近のアルバムでは静かな曲が増えた。これは成熟と言えるのだろうか。荒削りなファーストアルバムの方が忘れられない

*3:ライナーノーツより