訳の分からない日本語の力 その2

遠藤賢司 / 夢よ叫べ
昨日のブログに触発されて、訳の分からない日本語の力シリーズをしばらく続けてみることする(笑)。『夢よ叫べ』は1996年に発売された狂気のフォークシンガー、エンケンの奇跡の復活アルバムだ。特に冒頭2曲の血管がぶち切れるテンションの高さはエンケン唯一無二のものだ。「俺は負けない 君だけには負けたくはない たとえ他の誰かに負けたって…」と叫ぶ一曲目の「俺は勝つ」は残念だけど置いておこう(笑)。久しぶりのアルバムの一曲目としてはありえない元気のよさだ。
しかし、何と言っても圧巻は二曲目の「裸の大宇宙」だ。

この裸の大宇宙の全ての善と悪
それは唯一無二の君の親友でもあり それはまた君自身の姿なのだ
だから誰に遠慮がいるものか
この裸の大宇宙の風に大きく眼を見開いて
その善と悪をBGMにあらゆるものに挑みかかれ
己の痛みを知るほどに 君はもっともっとやさしくなれるだろう
 だから 宇宙を切り裂け 宇宙を叩け
 宇宙を切り裂き 叩け

岡本太郎に捧げられたこの曲は宇宙的な広がりを持つまさに狂気の傑作だ。歌詞は読んでもらえれば分かるように、ほとんど何を言っているのか凡人に分かりはしない(笑)。分からないが、「裸の大宇宙の風」そのもののような濁ったギターノイズに合わせて力強く歌っていくエンケンの歌声を聴いていると、大宇宙の律動と自分がシンクロしているかのような錯覚が生じてくるのだ。
だが、心地よくその錯覚に身を委ねたままでいることはできない。なぜなら、「裸の大宇宙の全ての善と悪は君自身でもあるのだ」「この裸の大宇宙の善と悪をBGMにあらゆるものに挑みかかれ」と言った舌の根も乾かないうちに、その「宇宙を切り裂き、叩け」とエンケンは叫び始めるのだ。誤解するべきではないが、これはロックにありがちな破壊衝動ではない。エンケンの叫びは常に生の叫びだ。僕らは、僕ら自身でもあるこの「裸の大宇宙」の風に大きく眼を見開くと同時に、この宇宙を切り裂き、叩き続けなければならない。そして、これこそが生きることにほかならないのだ。僕らはこの真理をそのまま受け入れなければならない。
いま、つい「ならない」などと書いてしまったが、このことを決して堅苦しく考えすぎない方がいい。これはもっと爽快な何ものかだ。エンケンが最後に絶叫する、その叫びに合わせて、まずは自分も絶叫してみればいいというだけの話だ。「あぁ、君こそは裸の大宇宙〜だ〜」