R.E.M.を待ちながら

 ついに明日はR.E.M.名古屋公演だ。で、いろいろと聴きなおしているのだが、最近のセットリストを見ていると、『ニュー・アドヴェンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』収録の"Be Mine"はやらなそうで残念。
 この曲はちょっと好きなのだ。特に実験的なわけでもなく、単調とも言えるほどシンプルなメロディの反復の上にあまりにもやさしい言葉が紡ぎだされていく。
 「僕は君のイースター・バニーになりたい」「僕は君のクリスマスツリーになりたい」などから始まり、「僕は君の吐息が描き出すドローイングとなるだろう、君が血を流すときには僕はコップとなって受け止めるだろう、僕はガンジス川のうえの空になるだろう、僕は広大な嵐の海になるだろう、僕は君を内陸へと導く灯りとなるだろう、僕は君が見るビジョンそのものになるだろう、君が見るビジョンそのものに・・・」などと歌われる。
 この手の非常にロマンチックな歌詞のどこにぐっと来るのか。具体的には次のようなところだ。

And if you make me your religion,
I'll give you all the room you'll need.

 上述のドローイング云々はこの直後に続くのだが、この二行、「もし僕を君のreligionにしてくれるのなら、僕は君が必要とするだけの部屋をすべて与えよう」という歌詞を聴けば、もちろん頭に浮かぶのはR.E.M.の名曲"Losing My Religion"だ。
 "religion"と言っても単に「宗教」のことではなく、「自分が信じるもの」や「価値観」というような意味だ。
 90年代初めに、「信じられるものを失いながら、それでも何とか物事を把握しようと試みている。できるかどうか分からない。あぁ、言い過ぎてしまった。いや、十分に語りつくせていない…」と、逡巡を繰り返しながら、ギリギリの状態で視野を確保しようする悲痛な精神を歌っていた彼らが、"Be Mine"では穏やかなラブソングとして「信じるもの」を再び手に入れているのだ。
 そう言えば7〜8年ほど前のチベタン・フリーダム・コンサートでR.E.M.のライヴの最中にトム・ヨークが登場し、この"E-Bow The Letter"のパティ・スミスのパートと"Be Mine"を歌っていたことを思い出した。確かWeb配信で見たのだが、トムが歌うと例によってシニカルさと情熱が共存しているかのようなありえない光景が立ち現れてくる、非常に感動的なパフォーマンスだった。インターネット黎明期のしょぼい画像と音という当時のハイテク&ロー・クオリティな環境の倒錯性とあいまって…
 R.E.M.前夜に興奮して、僕も少し語りすぎてしまった。いや、十分に語りきれていない…
  

New Adventures in Hi Fi (Wdva) (Dig)

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