スタイル・カウンシル / アワ・フェイヴァリット・ショップ

 ポール・ウェラー(元ジャム)とミック・タルボット(元デキシーズミッドナイト・ランナーズ)の二人によるユニット、スタイル・カウンシルの最高傑作。85年のアルバム。保守党政権下のイギリスにおいて労働党支持を打ち出し、あと一息で政権交代というところまでいったことにはスタカンの貢献が大きい。ポール・ウェラーが最も政治的であったアルバム。
 ソロに転向して以降のポール・ウェラーは急速に政治性から離れてしまった。そう言えば、数年前のインタビューでは政治的発言をおこなうボノを茶化しているのを読んでがっかりしたことがある。もちろん音楽的な豊かさと政治的なメッセージ性は基本的に無関係だ。だが、メッセージ性そのものが音楽の形式に力を与える局面は必ずある。僕は個人的には最近のポール・ウェラーの音楽も嫌いではない。だが、あまりに審美的なものに寄りかかりすぎている感じがしないわけではないのだ。審美的なものとは無縁の音楽そのものの力など、果たしてありえるのだろうか? ありえると信じている。
 このアルバムを初めて聞いた際に、いきなり1曲目で暗い歌が流れて驚いた人も多いのではないだろうか。不況のために故郷の町を離れ、出稼ぎに行かなければいけない男の状況を歌うこの曲はあまりにも重い(ホームブレイカー)。続く、2曲目はボサノバ風の非常に軽やかなメロディが流れるのだが、これも歌われるのは地方経済の崩壊状況だ(オール・ゴーン・アウェイ)。
 だが、やはり白眉は力強い闘争宣言である4曲目「インターナショナリスツ」、14曲目「タンブリング・ダウン」、15曲目「シャウト・トゥ・ザ・トップ」だろう。
 ポピュラー・ミュージックのフォーマットでもって政治的なメッセージを歌う。彼らの音楽をポップ・シチュアシオニストとして捉えたのは上野俊哉だったが、あまりにも洗練されてファッショナブルな音楽のうえに、政治的メッセージが乗っかることによって圧倒的な社会性を獲得したのは事実だ。スタイル・カウンシルとは単にスタイルだけにこだわったユニットでは決してない。もちろんダサい四畳半フォークや愚直なだけのメッセージソングなどとも決定的に異なっている。
 例えば、熱がこもるポール・ウェラーの歌声とソウルフルな女性コーラスが交互に掛け合う「タンブリング・ダウン」などには、明らかに音楽的な形式を超えた力が漲っている。これは政治的な主張が音楽の形式に変容をもたらした結果だと言えないだろうか。ロック、ソウル、ファンク、ジャズ、ボサノヴァなど、様々な音楽を取り入れた豊かなポップ・ミュージックであることは間違いないが、音楽的な交配のみでこの曲の魅力を語りきれる気がしない。ポール・ウェラーの主張が音楽に変化を与え、彩を生み出している。
 

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