ライ・クーダー / チャベス・ラヴィーン

 フジロックが近づき、サマソニが近づいている現在、それらロックフェスの出演者以外の音楽を聴いている暇などないはずなのだが、このアルバムはまぎれもない傑作だ。
 まずはアルバムについているライ自身の解説と2005年7月号『ミュージックマガジン』の安田謙一の解説(秀逸!)をもとに簡単に背景情報を整理すれば次のようになる。
 チャベス・ラヴィーンというのはLAにある実際の地名であり、今はドジャースの本拠地ドジャースタジアムがある場所として知られている。もともと貧しいチカーノ/チカーナたちの居住地だったこの場所は球団に売り渡され、彼らの家々はブルドーザーで破壊されることとなった。62年のことだ。47年にサンタモニカで生まれたライ自身はこの場所に足を踏み入れたことがないらしく、写真等を新聞記事で見たことがあるぐらいだったらしい。その意味が分かるようになったのもはるか後年のこと。そう、このアルバムはそのチャベス・ラヴィーンという土地を巡る歴史を見事に語っていくコンセプトアルバムなのだ。
 このアルバムを聴いているとこのチャベス・ラヴィーンという場所、実在してはいるが既に失われた場所でもあるこの場所が目の前に浮かんでくるような気がしてくるから不思議だ。それは単に映画的な、映像喚起的な音作りというだけではない。もちろんと3曲目の「ドント・コール・ミー・レッド(俺をアカと呼ばないでくれ)」の映像喚起的な音作りなどは、赤狩りの時代の緊迫感を伝えていて圧巻だ。だが、そのような映像喚起性よりも、いろいろな言語を使い、いろいろな音楽ジャンルのイディオムを用い、いろいろな立場からチャベス・ラヴィーンの歴史を語るその多面性によって、生き生きとしたチャベス・ラヴィーンの歴史の断片が見事な輝きを帯び、目の前に幻のように立ち現れてくる。なにより歴代のチカーノ・ミュージシャンたちがこのアルバムのために集められ、実際に歌を歌っているのだ!
 立ち退き、市庁舎内での権力争い、パチューコ事件(チカーノコミュニティの不良たちを水兵や海兵隊が襲撃した事件)、赤狩りドジャース球団への土地売却などの出来事について、「当時は、あのような出来事は『進歩』と呼ばれていた」とライはつぶやいている。進歩という名の破壊をただ見つめることしかできない天使を歴史のアレゴリーとして描き出したのはベンヤミンだが、このアルバムのライはまさに歴史の天使の眼差しでもってチャベス・ラヴィーンを眺めているかのようだ。
 いや、UFOからの眼差しというべきだろうか。このアルバムではなんとUFOが何度か登場し、チャベス・ラヴィーンを上から眺めながら、人々に残酷な現実を語りかける。だが、残酷な認識ではあるものの、そこにはUFOを召喚することによってユーモアが漂ってもいるのだ。
 最後の曲ではなんと地球が一人称の視点で語り、私たちを優しく包み込んでいく。しかも、伴奏はアイスクリーム売りのトラックの音になっているのだとか。非常に美しい曲であり、カエターノ・ヴェローゾの「テハ(地球)」に対する地球の側からの返答なのではないかとさえ思えてくる。
 率直に言って、僕はライ・クーダーをそれほど真面目に聴いてこなかったし、いくつかのアルバム(特に「パリ・テキサス」のサントラ)においてはまったく良いと思わなかった。だが、このアルバムの衝撃の前に不明を恥じた。ライの作品を真面目に聴いてみることにしよう。ただし、夏フェスが終わってから(笑)。
 

チャベス・ラヴィーン

チャベス・ラヴィーン