野矢茂樹(文)・植田真(絵) / はじめて考えるときのように

 ヒット作『論理トレーニング』の著者、野矢茂樹の本。この本を上記のヤングの本の次に読んだのは偶然だが、これはなかなかチャーミングな偶然だ。ヤングの本と共振しあう要素が非常に多い。
 本書によれば、考えるとは、「何かが思い浮かんだときに、『これがあの問題の答えかもしれない!』って声が響く。その声に耳を澄ましていること」 に他ならない。すべてをその問題に関係させて、「これだ!」という声を待っているとき、そのときの状態をこそ「考えている」というのだ。
 ぼくたちは「ずっと考えている」と言っても、本当にずっと考えているわけではない。ご飯を食べたり、ライヴに行ったり、目に付いたものに注意を奪われたり…。だが、何かの拍子に、「これだ!」と思えるものに出会うことがある。つまり、その間、ぼくらは答えの到来に向けて、ずっと耳を澄ませていたのであり、そういうときこそ僕らは考えていたと言えるのだということ。
 これは上記のヤングの本で言えば、特に3〜4番目にあたる無意識の段階のことをうまく説明していると言えないだろうか。
 あるいは、本書でも最後に「考える技術」が説明されている。以下の5点がそれにあたる。
 ・問題そのものを問う (問いの意味が明らかになったときこそ、答えが生まれている)
 ・論理を有効に使う (手持ちの情報の意味を引き出し、最大限に活用する)
 ・ことばを鍛える (状況を言葉で分節化し、いろいろな組み合わせを試す。言葉が豊富な人は可能性も大きい)
 ・頭の外へ (書き出してみて、読むというよりも見えるようにする)
 ・話し合う (人に伝えることで自分の考えを整理し、周りのいろんな意見を聞くことで想定外のものを引き込む)
 これらはヤングが無意識の領域に任せている第3段階を、より活性化するための方法論として読むことができる。個人的に特に重要だと思うのは、4つめの「頭の外へ」という方法。問題点や思いついたことを手や目を使って書き出し、整理していくことによって、周囲のものが活性化されていく。つまりこれは、他の何をしていても、それについて考えている(答えの到来に耳を澄ましている)状態になるためのコツだ。これこそヤングの「一回、忘れる」段階に入り込むために有効なノウハウだとは言えないだろうか。
 本書の最後の2ページも興味深い。野矢もヤングと同様、「つめこんだものをいったん空っぽにすること」の重要性を説いているのだ。ただし、ヤングと異なり、空っぽにして忘れるようなら、それは「まだ問題が自分のものになっていない」と慎重に書き記している。これならば非常によく分かる。野矢は単純な言葉で、「つめこんで、ゆさぶって、空っぽにする」と書いているのだが、これはヤングにおける思いつくまでの1〜3段階についての、より見事な表現だと言えないだろうか。