イーヴォ・ポゴレリッチ@サントリーホール 2005/10/23/Sun.

 初ポゴレリッチを見に行って、さっき帰宅。印象が強烈なうちにエントリを。
 まずプログラムが全部差し替えには驚いた。事前に聴きこんでいたのに…。元の予定ではベートーヴェンピアノソナタ24番、32番)、ラフマニノフ(楽興の時)、スクリャービンピアノソナタ2番)、リスト(超絶技巧練習曲集より5番、8番、10番)のはずが、実際に演奏されたのは以下の通り。
ショパン 夜想曲 ホ長調 op.62-2
ショパン ピアノソナタ第3番 ロ短調 op.58
スクリャービン ピアノソナタ第4番 嬰ヘ長調 op.30
ラフマニノフ ピアノソナタ第2番 変ロ短調 op.36
 前半を埋めたのはベートーヴェンではなくショパンだ。
 「夜想曲」はライヴならではの静かな、かすかな音が一音一音、ゆっくりと空間を響きわたる様がすばらしい。消え入りそうな音の流れが耳の鼓膜をかろうじて共振させる。
 「ピアノソナタ第3番」は第4楽章の力強いフィナーレも忘れがたいが、やはり第2、3楽章の抒情的なメロディや消え入りそうな旋律が印象に残る。
 これらショパンの2曲において何よりも特記すべきは、ポゴレリッチの演奏のあまりの遅さだ。事実、1曲目の「夜想曲」の演奏は聴衆を戸惑わせ、拍手をするタイミングすら逸していたほどだ。その遅さのなかから立ち現れる繊細すぎる感触に耳を澄ましていくことの、この艶かしくも異様な体験をなんと言えば良いのだろうか。
 後半のプログラムからはリストが消え、スクリャービンラフマニノフは残るも、ともに曲目は変更。
 スクリャービンの「ピアノソナタ第4番」は力強さだけをとっても、他のどの奏者よりも力強い。いや、力強いだけでは正確ではない。音の存在感が生々しいと言った方が近いだろうか。硬質な音が四方八方に飛び散り、音間の沈黙もまたぬぅっと前景化する。あるいは、力強い力動となり駆け抜けていく。この作曲家の魅力がメタリックなものであることを実感した。
 ラフマニノフの「ピアノソナタ第2番」もすばらしい。この難曲においても、ポゴレリッチの指捌きは冴えまくる。いや、あの強烈な指捌きに対して「冴えまくる」という言い方は適切ではない。通常のクラシックの力強さを超え、ハードロックかと言わんばかりに強烈なのだ。第3楽章のフィナーレなどは鳥肌が立つほどに圧巻だ。複数の音が折り合わされて強靭な音の固まりとなり、そのまま最後まで突き抜けていく。いや、やはり突き抜けると言うよりは、次々と叩きつけられ、放射していくと言ったほうが近いかもしれない。
 スクリャービンラフマニノフの演奏は、ショパンの演奏における遅さの際立ちに加え、これら圧倒的な力強さが特徴的だ。彼らの音の構造が遅さにおいて引き伸ばされ、極端なまでに強弱が明瞭化されることによって、ある意味で両者の類似性が感じられる演奏となっている。スクリャービンラフマニノフモスクワ音楽院の同級生だが、彼らの音楽は対極的なものでありながらも、やはり同時代的に共有しているものが大きいのではないか。それが見事に浮き彫りにされている。しかし、なんというスクリャービンであり、なんというラフマニノフなのだろう。これほどの異様な演奏に対しては、反感も容易に予想される。
 そう、確かに今回の公演は問題作だ。だが、これほど強烈な印象を残すポゴレリッチが現在最高のピアニストの一人であることは、疑いを得ないのではないだろうか。強烈なデビュー以来、依然として問題児であり続けているポゴレリッチ。そのふてぶてしいまでの存在感からはどうしても目を離すことができない。